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舞台『刀剣乱舞』无伝 夕紅の士 -大阪夏の陣- 感想 ※ネタバレあり

※この記事は 舞台『刀剣乱舞』无伝 夕紅の士 -大阪夏の陣- をはじめとした既存刀ステ作品のネタバレを含みます

4月の開幕早々には見ていたのですが、「もうわからないからもう一度見てから考えよう」と考察を投げ捨てていたら、GWの公演中止をもろに食らって、約2か月後の再観劇になりました。

というわけで无伝の感想というか覚書というか深読み大爆発の記事です。

 

今までの

綺伝

kichijitsunow.hateblo.jp

天伝

kichijitsunow.hateblo.jp

 

印象としては、刀ステらしくない一作だったな、という感じです。

理由は二つあります。

まず一つは、今までの刀ステにあった「成長」が無かった。

近侍としての山姥切だったり、

織田信長にとらわれていた織田組だったり、

復讐という物語と向き合う小夜だったり、

仲間との関わり方に悩む大倶利伽羅と歌仙だったり、

過去の敗北を越える本丸だったり、

何者かと己に問う一期だったり、

今までの刀ステって何かしらの成長が、その公演に一つ以上ちゃんとあったんですけど、今回は特にそれが無いなと思いました。

もう一つは、ネームドの歴史上の人物が歴史改変をしないという結論を早々に出してしまうこと。

高台院はそもそも、歴史上見られなかった豊臣の最期を見届けたいという想いだけで時間遡行をしてて、最初から歴史改変をする気がない。

豊臣秀頼(おそらく天伝での出来事は歴史の自動修復によって忘れていると思われる)も、最初こそ足掻いていたけれど、第一幕のラストであるがままの我々の戦をしようと徳川秀忠と約束を交わしている。

天伝のラストで真田信繁が自害したことと、それに対する黒田如水のちょっかいによって、世界線としては放棄しないといけないのも、物語が始まった時に確定してしまっていて、変えようがない。

これによって、今までの刀ステで描かれていた、かつての主たちとの交流と、その運命と向き合う話というのが、ほとんどなかった。

歴史上の人物の心情は出てきたけれど、彼ら同士の中で完結してしまっていた。

言ってしまえば、放棄された世界で起こった、何にもならない物語だった。

「英雄ではないものの戦い」(by秀頼)これともいう。

だから"无伝"なのかなーと思いました。

"无"は何もないこと、存在しないことという意味なので。

(特命調査は放棄された世界を復旧する話なので、それはそれで目的のある話)

 

一方で、だからこそ、円環にいる高台院と三日月の交流が際立っていました。

また、ラストの、悲伝の鵺くん登場シーンが鬼丸さん顕現シーンに代わったところに行き着く『変化』に、刀ステシリーズにおける无伝の役割はここだったんだなあと納得がいきました。

"无"は先述の通りの意味であると同時に、五十音の"ん"は无を変形させてできた文字でもあります。

円環の中で、分岐を起こせる最後の箇所がここだったのかなとも。

 

キャラクターにフォーカスを当てていきます。

歴史を守る本能で戦う刀剣男士と、自分たちが生き延びるために戦う真田十勇士の存在を食い合う戦いだったなと思います。

ある意味、虚伝の不動くんの大切に愛してくれた人間への恩返しがしたいという気持ちを、真田十勇士はかなえているわけで。刀剣男士の逸話にのみ焦点をあてると、うらやましいと思う男士もあったんじゃないかなと思います。

逸話を与えてくれた人間が救われる道だったり、その人の志を受け継ぐような道を選んだ刀剣男士が、真田十勇士だったんじゃないかなと。

三日月が真田十勇士が戦うことの許しを高台院に願ったあたり、歴史改変を止めるという大義名分がないと人を殴れないと言っているようで、それが、ただ自分たちの生きざまを生きたいと願う人にたいする、刀剣男士の甘さみたいなものが垣間見えた気がしました。気がしただけかも。

あとたぶん何度もやりあってるから、何があっても自分が全員止められる自信があるはず。それこそ自分以外が折れても、目的は絶対に果たせる…

 

今回良いなと思ったのは鶴丸です。

一緒に見に行ってくれた友人が「獣のよう」と評していたのがしっくり来ました。

戦いにある自分に一番生を見出しているような、それでいて人のように生きることに対する好奇心が抑えられないような、綱渡りのような生き方をしている鶴丸国永だなと思いました。

三日月と本丸の話をするシーンなどで、彼なりに人の身を得てからの交流に思い入れや楽しさは感じているんだなと思うんですけど、戦闘パートの生き生きとした獣のようなお姿が、あーこっちのほうが生きてるんだな、みたいな解釈になりました。

この後の「ここは俺に任せて先に行け」のセリフの時の三日月の表情から、これを最期に鶴丸が折れた世界戦あったりしたのかなと少し気になりました。三日月のはっとした顔からの微笑みが、「今の鶴丸なら大丈夫」みたいなことを考えている気がして…

だいぶこう、深読みをしています(ろくろ)

 

あとは薬研がすごくかっこよくて。

今作では長谷部のサポートのような立ち回りが多いので、その分ふとした時に肩の力を抜いた姿を見せたり、しっかりと背中を預かるように動いたりというのがかっこよかったです。

真剣必殺したときに、「なんで風呂で脱がないで今脱ぐんだよ~!」と言われて、長谷部と顔を見合わせるところが好きです。このシーン、周りが一斉にオペラグラスを構えるので、ふふふともなる。

弊本丸の初鍛刀がかっこいい2021。(ちなみに天伝は弊本丸の初期刀がかっこよくてかわいい2021でした)

 

黒田如水について。

今作も私の刀ステ界の推しが大暴れしていてよかったです。

放棄される前の世界でここまで暴れておいて、放棄されていた世界線だった綺伝であの山姥切煽り以外に何もしてないわけないと思うんですけど。

 長谷部に発破かけてたのは何だったんだろうなあ。

三日月にとっての山姥切国広との対比っぽいんだけど、三日月は円環の終わりで本丸が亡くなってしまうことを回避するためにまんばちゃんを強くしていて、じゃあ如水は何を回避しようとしているんだろう。

仮に歴史改変できない未来だとしたら、闇落ちとかを見てしまうんですけど、如水の「強さを極めろ」というセリフ的には、悲伝であった極の修行を示していそうなのでちょっとわからないです。

極=主の刀としてやっていく決意みたいなものだと思うので、如水の野望は果たされない気がする。

なので、長谷部へのセリフと如水のそもそもの願い(歴史改変)が矛盾しているように感じて謎でした。

気になる……。

 

ところで、先日舞台の一番奥のど真ん中から出てくる人物は大物の強ーい役という話を聞いたのですが、今作でこれに該当するネームドキャラが三日月と如水、(おそらく、秀頼が自害する直前で)高台院と、円環組であるの、今回のホラーだと思っています。

 

その他ざっくりとした感想

・ところで、政府組二振りが遡行できなかった、異聞夏の陣にダイレクトに来れた刀ステ本丸ご一行 is 何

・「高台院は俺が斬るべき"だった"」と過去形で話すばみちゃんも何

・「小田原と同じ」と語る長谷部、もしかして如伝通ってなかったりします?っておもったけど、三日月と鶴丸が話すときに山伏さんが出てきたから大丈夫かな。二振り目とかは考えないようにしてます。

・でも山伏の生存条件に、如伝軸での長谷部の小田原出陣はなさそうではあるから…(三日月がばみにお守りを渡す+ばみが応援で駆けつけて山伏にお守りを渡すが条件だと考えています)

・結局、无伝はどの円環の話なんだ…?如水が言ってる前の円環は素直に今まで描かれていない過去円環の話でいいの?

・ペース配分が考えられたのか、若干抑えられた殺陣。冬の陣マジで物量がえぐかったからなあ…

・それでも後半がほぼ戦闘パートなの、頭がおかしい。鈴木さんにステアラ一周させようって考えた人誰?

・ステアラの使い方を心得たといわんばかりの演出、よかった。いろいろチャレンジもしていたと思う。戦い続ける作品ですね。

・回転しながらの自己紹介を「イケメン回転寿司だ!」と思ってしまったMマスP語彙

・ラスボス三日月VS真田十勇士の終わり、真田十勇士が地に伏すところ、悲伝ですね。

・「ものの心を空に返す」を「ねねの心を秀吉に返す」と読んでどうしようもない気持ちになりました。

・豊臣滅亡から目をそらしたくなくて円環に入った高台院様、「滅亡」と「円環」というワードに心当たりがあるやつ、男士にもいるのですが。

・秀頼ラストシーン、あまりにも美しかった。半年間お疲れさまでした。

・父の背中を語る秀頼→鏡の角度が開いて、秀頼の後ろの背中が一つになる→その奥から現れるもう一人の豊臣秀吉高台院様 この流れ美しすぎる

・「天の一振り」と一期一振を出すところ、天伝のあれそれを思い出して苦しかった~。この秀頼は(おそらく)天伝の出来事を、宗三が言っていた「歴史の自己修復力」で忘れているので…

・秀頼、やはり意味がわからないほど顔がいい

高台院様「偉かったねえ、よう頑張りゃあした」 ここで泣く

・三日月がみんなに合流しないで終わるんだなあ(合流しているだろうけど)、天伝はなんやかんやそろってたし、太閤くんとバイバイもしていたから、ちょっと寂しいところがある

・ED、概念はイッツアスモールワールド