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舞台『PSYCHO-PASS VV2』感想※ネタバレあり

2020/11/26のソワレ観劇してきました。
二年前に観劇したVVがめちゃくちゃに面白かったのと、数日前に観劇済みの信頼できる友人から「人の心がない」という大変信頼できる感想を聞いていたので、期待に胸膨らませて行ってきました。
前回とは違ったベクトルで面白かったです。満足。

VV見直したらストーリーの感想と考察は細かくやるので、脚本や構成の話を今回はしたいなと思います。
勢いで深読みして自分の中に落とし込むためのあれやそれやです。いつも以上に深読みしています。
もしかしたら(というかおそらく)見当違いかもしれないけど、残しておきたいなと。

VVは登場人物自身や関係性の掘り下げがあり、ヒューマンドラマとしても見られる話だったのに対して、VV2はエピソードゼロ的な立ち位置だったのもあり、話を通して伝えたいことを主軸に展開する話だったなと思いました。

そのVV2の主軸はトロリー・プロブレム(トロッコ問題)に集約されていたな、というのを考えています。 疾走するトロッコの先に5人がいて、レバーを引いて線路を切り替えれば5人は助かるが、切り替えた先にいる1人が死んでしまう。
レバーを切り替えて1人の命を意思を持って殺したとしても、助かる命が多いほうが良いと考えるのか、レバーを引かずに最初の結末を変えないことで誰も故意には殺さなかったとするほうが良いのか。
作中で光宗が引用した『良い行いとは最大多数の最大幸福をもたらす行いである』は、1人の命を犠牲に、5人を助けるのが正解とする側の原理です。
神宮寺の「トロリー・プロブレムを解決するかんたんな方法は、切り替えた先の1人を死ぬべき人間に仕立て上げること」は、最大多数の最大幸福の犠牲をなかったことにする詭弁でしょう。

クライマックスで、監視官のままスパイのような形でNNDに潜入し、色相を濁らせてまで真実を追い求めてそうして潜在犯になってしまった神宮寺は、5人の側の科学者たちが1人の側のモルモットにされた潜在犯たちを「見苦しいもの」と形容したことをきっかけに、1人を犠牲にしないと助けられない5人ならば彼らも死ぬべきだという狂気に堕ち、そして5人を助ける1人として、嘉納に殺されていきます。
このときの神宮寺の慟哭が舞台上のどのキャストでもなく観客に向けられたときに、私は脚本の伝えたいことの一端を掴んだような気がしました。

ここで公演の冒頭を思い返すことにします。
幕が上がり、駆け込んできたスーツの男が、「諸事情により公演中止とします」と叫びます。
このとき、観客の誰もが、コロナの感染者が出たのだと思ったのではないでしょうか。私は思いました。咄嗟に隣の同行の友人と顔を見合わせて、ああ、ついにかと。
どのセリフにも、『コロナ』という単語は出ていないのに。

すぐ後に嘉納役の和田琢磨さんが登場して、嘉納として演技をすることで、ああこれはいまの時事を使った演出の一つなんだとわかってホッと胸をなでおろします。

よかった、コロナにかかった誰かのせいで、公演が中止にならなくて、と。

舞台上では嘉納が潜在犯と判明した公演中止を叫んだ男をドミネーターで気絶させ、OPが始まります。
このとき、嘉納は明確に観客を指して「一般市民」と言いました。
だから、あの脚本の中で私達観客は「一般市民」なのです。

クライマックスに話は戻ります。
何も知らないままシュビラ社会で暮らす人々を、5人の側を、神宮寺が否定します。
私達が一般市民であるならば、つまり、観客も、無意識に潜在犯という1人を殺して生きている5人であるわけです。

ところで、この半年間、私はまざまざとトロッコ問題と、その解決方法としての最大多数の最大幸福の原理と、そして捨てられるべきひとりを仕立て上げる社会構造を見てきました。
感染者は多少の不自由を強いても隔離すべきだとか。
感染を広げないために特定の業種を犠牲にするとか。
夜の街とかいう言葉でくくったものを槍玉に挙げて罪を押し付けるだとか。
それから、楽しみにしていた公演が中止になったのは、ウイルスではなくて不用意に感染した誰かのせいだ、とか。
演劇も、しわ寄せを受けて、ときには悪者のように言われたこともあった。
だから、この脚本の構造は、捨てられるひとりを無邪気に作り上げて平穏を手に入れていた社会への、演劇を以ってした意趣返しなのでは、と感じました。

すべてが終わったあとの、嘉納に科学者たちが詰め寄るシーンで、科学者たちの怒鳴り声が観客席の後ろから出ていたところ、とてもゾッとしました。

そして、この興行が円盤になって、来年や、もっと後に見返したときには、きっと冒頭の演出からコロナは導けなくなるだろうし、より没頭させてくれる序盤や、神宮寺の慟哭や、科学者たちの怒鳴り声は円盤では感じられないだろうと思うし、そういうところにナマの演劇の意地みたいなものも見ました。
ああーーー、好きだなあーーーー。
VV2、とても好きです。

あとはポップな感想を箇条書きで書いておきます
・前作は何も知らずに(コパスの外伝キャラは本編に影響が出ないように基本的に死亡エンド)、全滅エンドを見て「ふざけんなよ!?」となったのを踏まえて、今回は「いやいや、嘉納以外死ぬのはもうわかってんだよこっちは、かかってきなさいな」というテンションで行ったら、この設定で思いつく限りの絶望を詰め込んだ脚本で1時間50分丁寧に心をすり潰された ・神宮寺が記憶を改ざんして〜って話のあたりから九泉さんの気配を感じて色々察しはした
・信頼できる友人が「私の脳内の彼方さん5回くらいキレてた」という前情報を頂いてましたが、実験動物ホロ壊したあたりから毎秒キレてた ・信頼できる友人のそのまた友人さんの「嘉納さんは伸ばした手を誰にも受け取って貰えない」という感想を聞いて、情緒がめちゃくちゃになった。コーヒー………………
・今この解釈で、嘉納が神宮寺の刀受け取っちゃうシーン見たらめちゃくちゃしんどいと思うのでやりたい
・ちなみに↑のシーンのときは「そういえばひろって名前かわいいよね…」「笑顔が素敵だなあ」という現実逃避みたいなことをしていた。防衛反応ですね。
・第三課の監視官はみんな実験体という仮定をしているのですが、それだと神宮寺も実験体だったんではという話になる。監視官になる前に色相を操作されている的な…
・↑の深読みオタクの話を聞いてくれた信頼できる友人「それで神宮寺が堕ちてしまったから、嘉納は執行官から監視官に上げて、優越感や自己肯定感を植え付けてみたとか…」しんどい
・廃棄区画出身ってとても便利な経歴だなと思います
・こころ とても つらい
・蘭具のあれそれの回収含めたVV3、ハチャメチャにお待ちしてます!楽しみです!
・それはそうとOP、演出も振りも全部がめちゃくちゃ映像的でかっこよかったです